「送別会」・・・その方の通信簿
先日逗子なぎさ通りのお店が閉店のため、送別会がありました。
このお店は12年前に脱サラで開店し、写真の現像プリントをやっていました。
しかし、よく考えるとこの業界ほど劇的に変化したところもないかもしれません。
今やカメラはデジカメで、プリントは自宅でできたり、そのままパソコンで保存したりと従来のお店への頻度は減るどころか全く頼らない環境に変わりました。
という我が社も前は現場写真を焼きに出したりしていましたから、以前は上得意先だったかも知れませんが、今ではお店に行くことすらなくなりました。
ということで、このたび廃業ということになりました。
そこで、通りの有志で「送別会」をすることになった次第です。
何と35名もの人が参加されて、盛大にお別れの会が催されました。
あいにく写真を撮り忘れたので、文章だけになってしまいました。
私が今回申し上げたいのは、「送別会ほどその人のこれまでの生き様が反映されることはない」ということです。
会社でも勤続○年だから送別会をやり、○年だからやらないということはできないのです。
その人を送ってやりたいと思う気持ちが強いか、希薄なのかです。
私が、会社に転職した際に送り出してもらった人も「何回送別会をやってもらえるかが、それまでの自分の勲章だ」と言っていました。
もう体が持たないから勘弁してというほどに引っ張りまわされたら、これはありがたいことです。
今回の写真屋の店主の送別会も同じでした。
本当に商店街のために、いつも真面目にコツコツと努力をしてくれていたのをみんな知っていたのです。
中には一店から2名も参加されたところも数店あるくらいで、「総会以上の参加者だ」と言われるくらいの大人数でした。
皆さん、店主の後ろ姿をよく見られていたのだと思いました。
もし私が引退・廃業ということになったときには、どうなるのかちょっと怖いですね。
誰も相手にされずひっそりとお終いになるのか、こればかりはそのときにしか誰にも分からないことなのです。
でも出来るなら、体が持たないくらいに引き回されるぐらいな人になれるように日頃の精進を重ねていきましょう。
自分の評価は「一番最後」に決まるのです。
皆さんも、そのつもりで生きていきましょう。