陸前高田に入ってみて
6日に支援物資を積んで、人口比では最大の被災を受けた岩手県の「陸前高田」に行ってきました。
友人が隣町の住田町にいて、彼の案内で現地を訪れました。
テレビで見るそのもので、それに埃っぽい空気と海の近くでは独特の臭いの混ざったものでした。
市内に向かう「大船渡線」の鉄橋の無残な姿です。
市内ではこんなにうず高く瓦礫が積みあがっています。
橋の上から海側の市内を見通しても、建物ひとつないご覧のようなきれいに片付いた景色になっています。
震災直後にテレビにも映っていたスーパーの建物です。この屋上で難を逃れた人もおられました。
海の近くで倒れた家を見たら、基礎からそっくりひっくり返っていました。そこに牡蠣の棚が絡んでいます。
日本百景にも選ばれていた「高田松原」の引き倒された松と、7万本のうち1本だけ残った「ド根性松」
ここに通じる橋が落ちたので、近くに行くことは出来ませんでした。
今回の被害を大きくした原因に、この高田松原の69999本の松があると地元の人は話してました。
津波に松が飲み込まれ、それが建物を押し込んで行ったようです。
市内のいたるところに立派な松がごろごろしていました。
僕らは松林の復興に支援をしたいと思っていたのですが、地元の人には複雑な思いがあると知りました。
こちらは河口から7キロも入った川の近くのお家です。
鉄筋の建物だけが、骨組みだけは残っていました。
この母子もお父さんが近所の人に逃げるように指示をしていて、最後には津波に飲み込まれて亡くなったそうです。
もう今は涙もなくなったと、悲しみを押し殺して片付けに精を出してました。
隣町の住田町に仮設住宅の建設が始まっていました。
材木の産地らしく、合板とかの建材は使わずに、全部無垢材で仕上げていました。
外部の羽目板は、杉の無節の立派なものでした。
自分で被災地の真ん中に立ってみて、自然の恐ろしさをまじまじと感じました。
どうやってあんな力が生まれるのだろうかと不思議な思いです。
またもし自分が実際に避難所で生活する立場だったら、これから先の生活設計にどう積極的に考えられるのだろうかと悩みました。
商売をやっているとしたら、もう一度ゼロからの出発の決意が出来るだろうかと考えても結論は出ませんでした。
復興には10年、20年と相当な長期にわたる時間を要します。
これからは一時の支援ではなく、生活の基盤を確保するためにも経済の復活を応援していかないといけないと思います。
とにかく言葉には尽くせない思いで、現地を離れてきました。
現地の友人たちにこれからも何らかのお手伝いをしていきたいと思います。
ぜひ皆さんにもご協力をお願いいたします。
がんばれ にっぽん !!!