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末長く見守って行きたい町、女川を訪ねて。

石巻市に続いて女川にやってまいりました。
女川の地元企業。すり身や蒲鉾など水産加工業の「高政」さん。
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社員の菊池さんが語り部として女川の当時の映像を見ながら
被災状況を語ってくださいました。
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女川は山あいの狭い平地を利用して町が形成されています。
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その山あいの狭い範囲に強烈な津波が襲いかかったため、
行き場を失った津波は20mにも達したと言います。
元々昔から津波が到着する地域らしく、津波警報に慣れていたことと、
高台に住む人々が「まさかここまでは・・・」と思って自宅にいた人々の多くが
津波にのまれ引き波と共に海に引きずり込まれたと言います。
 
この会社の会長さんもご自宅で亡くなられたそうです。
この会社では震災の直後から、残った在庫や材料を地域の方々に配り、
非常時を乗り切り、震災からわずか9日目にはガスを手当して再稼働して
さらに地域の方々に商品を供給したといいます。
当時100名だった社員を倍の200人に増やして、地元の雇用に貢献しているとのことでした。
 
ただし、女川は約1万人いた町民が震災で9000人になり、
その後の流出で7000人と言いますが、実は仮設住宅などに避難している人々など
把握できていない実態は5000人くらいではないかと言います。
町内に4つあった小学校も統合して1つになってしまったそうです。
人口の流出は深刻な問題です。
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続いて町内を案内してくださったのは町の観光協会の阿部さん。
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津波で横転してしまった交番だった建物。
遺構として残すかどうかは意見の別れるところだそうです。
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元々平地の少ない女川の町。
仮設住宅を建設するスペースは町の陸上競技場と球場しかありませんでした。
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今も二階建て三階建ての仮設住宅は球場のなかです。
バックスクリーンやネットもそのままです。
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住宅の高台移転のために山を切り開き、
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平地をかさ上げする工事が進められています。
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この山の中腹までかさ上げの予定です。
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女川の町の計画には、防潮堤の建設予定はないそうです。
それは「海風や海の様子を身近に感じていたい」
「人の命さえ助かれば・・・。」という町民の意志を優先した計画です。
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これまで幾度も津波被害にあってきた町。
自然と共存する考えはとても斬新で優しい気持ちになります。
津波によって流されたJR石巻線女川駅も新しく建設されて、3月21日の開業を待ちわびているようです。
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様々な意見、賛否もあるなか、
これからの女川を担う若い世代の意見も充分に取り入れ小さい町ながらコンパクトな再建計画は
少しずつですが前に進んでいるように見えました。
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41歳の若い町長のリーダーシップに期待する気持ちが阿部さんのお話から伝わって来ました。
末長く見守って行きたい町がまたひとつふえました。
 
『末長く見守っていきたい町、石巻市を訪ねて。』

末長く見守っていきたい町、石巻市を訪ねて。


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