社長の不定期日記

『刺激的な忘鍋会』

毎年僕らの仲間で日影茶屋の先代社長(角田庄右衛門)の命日に近いところで鍋を囲みます。
彼は全国的にも大活躍していたすばらしい男でしたが、
病には勝てず震災の年の暮れに逝ってしまいました。
今年も命日の次の日の18日に日影茶屋で行いました。

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今回は日影茶屋中興の祖といえる先々代の角田雄二さんを囲んでの会となりました。
この方の話しはとても刺激的でした。
何せ立志伝中の方で、逗子のスズキヤという名門一家の次男で日影に養子に行き、
短期間で今の日影を作った人なのです。
とても気さくで、示唆に富んだ話しでわくわくしながら聞き入ってました。

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話しでは商売を始めた時は、日影茶屋は年商600万だったとか。
売上増進のために考えたのが「日影弁当」や
「日影まつり」などと企画を次々だしていったそうです。
一時期はお店に来られる人と弁当は両立できなくなり、
500万/月の売上の弁当を中止したとかとも話してました。
そうやって日影を復興し、ラマーレを作りケーキの茶屋を出したり、
アメリカに進出するまでの15年で600万を20億に伸ばしたそうです。
アメリカでも全米ランキング50に入る行列のできるレストランとして名を馳せました。
一緒にアメリカに渡ったシェフはラマーレ創業からの熊谷喜八。
彼は今や日本でも有名な「キハチ」の名でレストラン・カフェなど
幅広く活躍されているあの方です。

アメリカでのレストランを15年やって、その後はスターバックスを
日本に持ち込んで今のスタバです。
スタバの社長を長年やって、今は完全に引き渡して抜けたということでした。
また彼の弟さんはバックやファッションのサザビーのオーナーで、
その彼と二人でスタバに交渉に行ったそうです。
雄二さんはサザビーのアフタヌーンティの仕掛けに関わっていたり、
この兄弟は二人三脚で大活躍しています。

100社くらいの日本企業がスタバに攻勢をかけて日本誘致をしていた時、
彼ら二人は「コーヒーは旨いけどパンはまずい」と言ったとか。
それが決め手で、スタバのオーナーから「君たちに日本の権利は渡すよ」といわれたそうです。
この話しを前に耳にしていて、「これは本当ですか?」と
雄二さんに訊ねたら、「それは本当だよ」ということでした。

今やそのスタバは店舗数1000店を超え、
社員数2000名超になるすばらしい会社になりました。
本人に訊ねると、当初は100店も出来たらいいなということだったそうです。
日本のスタバはスタバ全社でもアメリカに次ぐ好業績の会社になっているようです。

お聞きすると15年ごとに大きな転機を繰り返してきた。
人間の能力ってすごいなあと感心させられました。
それに引き換え自分は何と小さな世界での人生なんだろうと思いました。
身近な人でこんなすばらしい人にお会いできるのはうれしいですね。

彼の義弟になる先代の角田社長は61歳と早くに他界されましたが、
彼もすごい能力のある人で、雄二さんと一緒に作り上げた日影を今日までに成長させた訳だし、
彼が生きていたらこの地域もまた違った展開になっているのだろうと残念に思います。
こうやって彼の命日の頃に毎年日影茶屋で年の締めを行うのですが、今年は特に刺激的でした。
感謝!!

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2014年12月24日 12:00|カテゴリー:社長ブログコメントをする